自遊人が栽培する田んぼ「自遊田」も6シーズン目。前号でも書きましたが、今年の目標は"生産者のはしくれとしてスタートすること"。つまり農業従事者として認定してもらうことなのですが・・・道のりは想像以上に大変でした(現在進行形)。
 農業従事者になるには、私たちの場合、農業生産法人を立ち上げて地域の農業委員会に申請し、さらに5反(5アール・約1500坪)の耕作地を確保する必要があります。今までの自遊田は2反。つまり3反を新たに借りればよいことになります。
田んぼは、南魚沼の市街地から車で30分、一番近い住宅地からも15分ほど山道を登ったところ。自然の沢水を引いています。
一般的に魚沼地域の専業農家は5反の20倍の10町歩(10ヘクタール)以上の農地を耕作し、北海道の専業農家ではさらに5倍の50町歩程度を耕作しています(いずれも米農家の場合)。私たちの場合はもともと地元出身ではないため、「10町歩は難しいとしても将来的には3町歩くらいは」と考えていました。その足がかりとしての5反くらいは、正直「どうにかなるだろう」「そうでなければ話にならない」と考えていたのです。
 もちろんその程度の面積では採算は成り立ちません。でも、体験農園として付加価値を高めれば3町歩程度でも成り立つ可能性がある、と考えていました。
 ところが実際に動き始めると、わずか5反に大きな壁が。
「農業には後継者がいない」。そんな話をよく耳にしますが、実際には跡取りのいない兼業農家の農地を、若手の専業農家は競って借りています。
 魚沼の専業農家は現在10〜15町歩程度の面積で米作りをしていますが、その面積では将来的に経営が成り立たなくなるというのが共通認識で、規模拡大は生き残りの必須条件とされています。つまり私たちにとって、生産性の高い平地の農地を借りるのは、たとえ5反でも大変なことだったのです。

 
田んぼは山に接しているため、ときどきカモシカが出現! 畦の真ん中に見えるのは、その足跡です。
 巷で騒がれている「耕作放棄地」も、魚沼にはほとんどありません。皆無ではないのですが、それは山奥ばかりで、採算が成り立つはずがない田んぼです。
 田園地帯を見渡せば耕作していない田んぼも見受けられますがそれは生産調整、いわゆる「減反」の田んぼ。実は山奥の耕作放棄地に見える農地も、減反であることが少なくないのです。
「農地を借りられそう」という情報が入ってきても、次にぶつかるのが減反。これを達成している集落(農区)には、わずかですが国から補助金が出ます。ところが減反割り当て分の農地を貸し、そこで我々が稲作を始めてしまうと、減反を達成できないか、持ち主がさらに減反しなくてはならないわけです。話はその補償をどうするか、という流れになっていき……。   ちなみに魚沼の小作料(=借地代。お米か現金で支払います)は1反あたり1・5俵(90㎏)相当が相場ですが、1・5俵を小作料として所有者に戻すと、残りのお米はとてつもなく高コストになってしまいます。なぜって、私たちが目指す無農薬・減農薬で食味値を上げていく方法だと1反あたり5〜6俵しか穫れませんから。さらに補償となると・・・もうお手上げです。

 
 今年ならではの政治的要因もあります。戸別所得補償制度です。「田んぼを貸したら補償金が減るだろうから」という声が多数。戸別所得補償が農地流動化と農地集約を逆行させる可能性があるという意見は一部の専門家から指摘されていましたが、まさかその影響を受けるとは思いませんでした。
田んぼに引くのは、沢から直接注ぐ水。山に湧いた自然の清水を使っています。
 田んぼ部長・平澤は、正月返上で地域の新年会等でお願いしたりもしたのですが、結局成果は得られず。「将来的に2町歩は」という目標は到底達成できない状況になりつつあります。
 とはいえ、ここであきらめるわけにはいきません。実はありがたいことに一軒、今使っていない田んぼを耕してほしいと言ってくれた農家の方がいました。それが写真の田んぼ。集落から山道を走ること約15分、カモシカがよく姿を現すほど山奥の田んぼです。採算はどう考えてもとれない田んぼですが、環境は最高です。当然ながらここより上に人家は一軒もなく、田んぼには沢の水が注ぎます。しかも目の前には越後三山の大パノラマ。私たちはこの田んぼに一目惚れしてしまいました。
「この素晴らしい環境で都会の人々に農作業の体験をしてもらいたい」。
  3年間作付けをしていない、いわゆる耕作放棄地です。無農薬栽培には大変なハードルがあります。それ以上に、山奥すぎて何が起こるか、まったく想像がつきません。でも、「うだうだ言わずに、まずやってみる」これが自遊人の社風です。
幸いなことに農業を指導してくれる人はたくさんいます。今年の自遊田はいつも以上に本気です。

自遊人編集長 岩佐十良