それにしても農業生産法人の設立は想像よりはるかに大変でした。こう書くと「きっと法的に、書類とか、大変なんだろうな」と思われるかもしれませんが、そちらはそれほど大変ではありませんでした。行政の窓口も、農業委員会の方々も想像よりはるかに優しくて親切でした。では何が大変だったのかというと・・・農地を借りること。私たちは正直、これを甘く見ていました。こちらに来てからもう6年にもなるし、田んぼも続けているし、そこそこの面積ならなんとかなるだろうと考えていたのです。
 田んぼを借りるために、私たちが最初に行ったのは市内全域に「農地を貸してください」という新聞折込チラシを入れること。私たちが何者なのか、知ってもらうことが目的でした。
"こんな会社があって、こんな雑誌を作っていて、こんなことをしています"ということを、まずは知ってもらう必要があったのです。
 それと同時に知り合いをつてにあちこちに接触。それはもう6年間のコネクションをフル活用したのですが・・・今までのお遊び程度の"田んぼを貸して欲しい"とは、明らかに反応が異なりました。
 私たちの会社には地元出身者はいません(パートさんは何人もいるのですが)。さらに、私たちが作ろうとしている農業生産法人は、この地域で初めての"外資"だったのです。農地=財産を地元出身者でない人に貸すとなると警戒するのはあたりまえなのですが、それは私たちが思っている以上でした。
 多くの方から「数年辛抱して実績を作れば」「10年も経てば貸してくれるようになるよ」と励まされましたが、肝心の農地を貸してくれる人が現れません。たまに「貸してもいいよ」という嬉しい話があっても、面積は1〜2反(1反は10アール・約330平方メートル)。そんな方が数人は現れたのですが、1〜2反ごとに集落が違うので、それでは農"業"になりません。
 当初の私たちの目論見は2町歩程度(1町歩は10反・1ヘクタール)の農地を借りることでした。初年度にせめて1町歩、将来的には10町歩は借りたい、と考えていたのです。
 専業としてやっていくには最低でも20〜30町歩、これからは50町歩、100町歩を目指さないと厳しい、と言われている時代です。私たちが目指していたのは"付加価値農業"でしたが、それでもある程度の面積を耕作しないと黒字になるわけがありません。ところが1町歩どころか、農業生産法人として認められる最低面積の3反すら1カ所では借りられなかったのです。

田んぼ歴5年、無農薬栽培をはじめて4年目だった昨年の自遊田。株と株の間を埋め尽くすようにヒエやコナギなどの雑草が生え、出穂の日まで毎日草取り。駆り出されたのはのべ500人工。無農薬栽培はそうは甘くありません。