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放射性物質「不検出」

宮古の町は力強く復興していました。津波にのみ込まれた漁港周辺の市街はきれいな空き地になっていました。がれきは片付けられ、道路は補修され、信号機がついていました。震災後に三陸を訪れたときのような壮絶な景色と臭いはもうありません。市場の前には早くも一軒、津波に流されたあとに新築したすし屋が営業を始めていました。さらにその先では三軒の家が新築中でした。

2つある魚市場のうち、古いほうは鉄骨の屋根が曲がっていたり、窓ガラスが割れていたりしていますが、新しいほうは津波に襲われた形跡をほとんど残していません。裏側では新しい事務所棟を建築中で、もう数週間で完成しそうです。駐車場は仲買や市場で働く人々の車で満車。港には次々と大型のトロール船が入港してきます。着岸すると大勢の人が集まり、水揚げ作業がはじまります。まるまる太ったカモメが辺りを取り囲み、小魚のおこぼれを奪い合っています。市場に運ばれた魚はセリにかけられ、仲買に引き取られていきます。

以前とまったく変わらない光景、いや、むしろ以前より活気ある光景です。人々の顔は明るく、元気に満ちています。そして山根商店の山根智恵子さんも、そんな活気あるセリのなかにいました。

「セリはね、実は震災の1ヶ月後の4月11日から始まっているんですよ。宮古は三陸有数の漁港だから、市場が動かないとみんな元気がでないでしょ。うちもね、つい数週間前から加工場を動かし始めたの。鮭も揚がってきたし、年末はやっぱり美味しいイクラと筋子、食べたいものね」

山根さんは震災時、市街の銀行にいたそうです。そして大津波警報を確認、急いで市場にあった事務所へ向かったと言います。

「従業員はみんな避難してくれている、と思っていたけれど、どうしても心配で市場へ車で向かったんです。できるだけ高台の道を通って、最後に海に下って事務所に着くと、もう誰も市場周辺にはいませんでした。私は"ほっ"としたと同時に猛烈な寒気を感じました。すぐに事務所を飛び出して逃げようと思ったんですが、そのとき忘れ物を思い出したんです。"取りに行こう"、と思ったとき、亡くなった父が頭の中に現れたんです。"今すぐ逃げろ!"と。そして急いで高台に避難したら、津波はもう市場をのみ込んでいました

幸いにして従業員は無事だったそうですが、家族全員が無事だったわけではありません。市場の事務所も津波で消えました。

「でも別の場所にあった加工場と冷凍庫は大丈夫だったんです。それが救いでした」

山根さんはその後、無事だった加工品を東京の百貨店の催事などで販売。苦しい時期をしのいできたと言います。セリ場では元気だった山根さんも、震災のことを話し出すと目に涙がたまってきます。ひとすじの涙がこぼれました。

「みんな頑張っているのだから、私たちも頑張らなくっちゃね」

無事だったという加工場は、宮古市街から20分ほどの田老という地域にありました。水産加工会社数軒が集まる小さな工業団地。巨大な堤防が津波を弱め、さらにすこし内陸に位置していたことで、ぎりぎり津波が到達しなかったのです。

加工場では筋子の加工をしているところでした。大きな機械はなく、すべて手作業。作業は清潔で、仕事はてきぱきスピーディー。作業風景を見ただけで美味しさの秘密がわかったような気がします。

加工場を見学して小さな事務所でお茶をいただいていると、なにやらいい香りがしてきます。やがて山根さんがお盆にごはんとお椀、自慢の加工品を並べて持ってきてくれたのです。

「朝ごはんも食べたと思うけれど、お腹、減ったでしょ。これはね、サワラを麴で漬けたもの。こっちは味噌漬け。それからいかの塩辛と、鮭の紅葉漬けも食べてみて」

震災時の苦労を聞いているだけに、新潟の会社で食べたときより、さらに美味しく感じます。思わずごはんをおかわりしてしまいました。

「朝ごはんも食べたと思うけれど、お腹、減ったでしょ。これはね、サワラを麴で漬けたもの。こっちは味噌漬け。それからいかの塩辛と、鮭の紅葉漬けも食べてみて」

「塩加減がいいから素材の味が生きていますよね。とくにぼくは塩辛が最高だなぁ。それとイクラ。このイクラはかなり上質ですよね。これは銀毛鮭ですか? うまいなぁ」

「そう。銀毛鮭のイクラです。銀毛っていうのは、まだ沿岸に近付いてきていない鮭のこと。鮭は沿岸に近付くと体も締まってくるし、卵も固くなってしまうんですよね。だから沿岸で穫れたイクラは外側の皮が固くて口に残ります。でも銀毛のイクラは皮が柔らかいから口のなかでとろけるんです」

「実は銀毛鮭の無添加イクラ、探していたんですよ。なかなか世の中に無添加のイクラはありませんから」

でも私たちには販売にあたって確認しなければならないことがあります。私はイクラとごはんを平らげ、お茶碗をおいて一呼吸しました。

「大変、聞きづらいことなのですが、今、三陸の海は放射性物質で汚染されつつあります。加工品の原料はどのような基準で仕入れていらっしゃるでしょうか……」

山根さんの顔色が変わります。そして一瞬の沈黙に、思わず私は続けました。

「いや、もちろん鮭はアラスカ方面から北海道を経て回遊してくるわけですから、影響はほとんどないと思います。とくに宮古は三陸でも北側に位置していますし。それにイカも、漁船の乗組員にさきほど聞いたところ、漁場は三陸の北側と言っていました。実際にイカといっしょに北海道の名産であるハッカクやスケソウダラが混じって水揚げされていましたから、南でないことは間違いないでしょう。でも、当社では、放射性物質に関してはかなりシビアな基準をつくっておりまして……」

正直、海産物に限らず、農業生産者にもこの話をするのはつらいものです。胃が痛くなりますし、こうやって思い出しながら文章を書いているだけで、動悸がします。もう個人的には食品販売をやめてしまいたいくらいですし、逃げてしまいたい……。でもそうはいきません。。

「放射性物質の検査結果はどうなっているのでしょうか?」



切り出しにくかった、放射性物質の話。
美味しいイクラをぜひ皆様にもお届けしたい、だからこそ安全性を確かめなければいけません。
山根さんから出た反応とは……。次のページでご紹介します。
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